人間は忘れる生きもので、忘れる力がなければ幾多の悲しみや怒りを乗り越えていけないとよく言われるし、それは道理なんだろうけれども、決して忘れちゃいけないことがある。
南野さんのことがそうだ。
なぜ尊い命を理不尽に奪われなければならないのだろう。
なぜ加害者はいまだにのうのうと生きていて、被害者の遺族は絶えず精神的苦痛を味わわなければならないのだろう。
南野さんが遺してくれたもの、伝えてくれたものは何なんだろう。
早いものであれから4年、ずっと考え続けている。
答えは出ない。
出ないまま、ずっと困惑し続けたまま、気がつけば南野さんの享年に追いついてしまった。
ぼくは新宿ロフトのスタッフ時代、BOICE~4-STiCKS時代の南野さんを知らない。
直接関わったのは、南野さんがGEORIDEのプロデューサーだった時にやらせてもらったカリキュラマシーンやPale Green、いとうかなこさんやワタナベカズヒロさんのインタビューだ。
だからほんのわずかな接点でしかなかったのだけれど、BOICE時代からの盟友である柳沼さんいわく「歩く情熱大陸」そのものの熱い人で、インパクトは強烈だった。
とにかくまっすぐ。
猪突猛進。
一度決めたら周囲のことは一切気に留めずに突き進む。
打ち合わせの席で、インタビュー後の酒の入った無礼講の席で、運転してくれた車の中で、P.I.G.スタジオの休憩スペースで、新宿レッドクロスの階段で、プロデュースするアーティストに懸ける思いや壮大なプランを熱く(時に暑苦しく)語ってくれた。
思いが先走って無茶振りも多々あったけれど、チャーミングでにくめない人だった。
そして、葬儀・告別式の時にご親族や友人の方々はもとより、親交のあった数多くのバンドマンや関係者の姿を見るにつけ、本当に愛されていた人なんだなと痛感した。
と同時に、こんなに愛すべき人のことを忘れちゃいけない、生命の尊厳を踏みにじった忌まわしい事件のことを決して風化させちゃいけないと思った。
だから、柳沼さんが音頭をとって『“Pure”Night』を毎年開催するのはとても意義深いことだと感じている。
南野さんの音楽に懸ける思いは、柳沼さん、高田さん、三田村さんを始め、『“Pure”Night』に出演する縁の深いバンドマンに託されていることを実感できるし、柳沼さんが亡き同志のために奔走する姿を見るにつけ思うのだ。
4-STiCKSの物語はいまなお現在進行形で続いていると。
思いのたすきリレーは終わらない。
終わらせちゃいけない。
すべては彼のために。